MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

箱館病院 頭取(院長) 髙松凌雲

髙松凌雲

Takamatsu Ryoun / 1836 - 1916

1836(天保7)年、筑後国(現・福岡県)生まれ。20歳の時に久留米藩川原家の養子となった。22歳の時、兄の古屋佐久左衛門を頼り江戸へ出て医師を志し、蘭方医石川桜所の門下生となり、後に大坂の適塾で緒方洪庵の指導を受けた。1865(慶応元)年、一橋家の専属医師に抜擢され、徳川慶喜の第15代将軍就任により幕府奥詰医師に登用された。1867(慶応3)年のパリ万国博覧会の日本代表団の随行医となり、パリの医学学校で1年半学んだ後、1868(慶応4)年1月に幕府崩壊の報せにより同年5月に帰国した。 幕府艦隊の品川沖脱出に同行して蝦夷地へ渡り、箱館では、榎本武揚の依頼により箱館病院の頭取(院長)に就任し、傷病兵の治療に当たっては、パリ留学時代に学んだ赤十字精神に基づき、敵味方を問わずに受け入れる対応を貫いた。1869(明治2)年5月11日(旧暦)の新政府軍箱館総攻撃時に箱館病院が襲撃された時には、凌雲自らが新政府軍兵士と対峙して、その場を収めている。また、降伏勧告の仲介を小野権之丞とともに受諾して、箱館戦争の早期終結に貢献した。箱館戦争の終結後も、凌雲は箱館に残り病院長として患者の治療にあたった。同年10月下旬に阿州藩へお預け(謹慎)となり、翌年には東京へ帰還した。凌雲は東京で個人病院を開院し、町医者として赤十字精神に基づいた道を進むことを決意した。1878(明治11)年に、貧民を無料で診察する組織「同愛会」の設立を提案し、翌年に民間救護団体の前身とされる「同愛社」の創設となった。1916(大正5)年に死去した。享年79歳。

箱館病院 頭取(院長) 髙松凌雲 画像出典:松戸市戸定歴史館蔵

メインで登場するモニュメントの設置スポット

BACK TO TOP