MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

旧幕府海軍「蟠龍」艦長 松岡盤吉

松岡盤吉

Matsuoka Bankichi / 不明 - 1871

生年は不詳。長崎海軍伝習所で航海術を学び、卒業後幕府に仕え、1860(万延元)年の咸臨丸渡米時に測量方を勤めた。1868(明治元)年に軍艦頭並となり、旧幕府海軍艦蟠龍の艦長として箱館戦争に参戦した。翌年6月20日(旧5月11日)の新政府軍箱館総攻撃時に、箱館港海戦で蟠龍を指揮して砲弾を放ち、新政府軍艦朝陽を撃沈させた。しかしながら、蟠龍も操船不能となり、松岡らは弁天台場に上陸した後、弁天台場で降伏した。東京に護送された後、1871(明治4)年に病死した。

 

長崎海軍伝習所で航海術を学び、幕府に出仕した。1860(万延元)年の咸臨丸渡米時には測量方を勤め、軍艦頭並の後、軍艦蟠龍の艦長として箱館戦争に従軍した。 翌年5月11日の新政府軍箱館総攻撃時には、箱館港海戦で蟠龍から砲弾を放ち、新政府軍艦朝陽を撃沈したが、蟠龍も操船不能に陥り、松岡は上陸して弁天台場に逃れて降伏した。東京に護送された後、獄中で病死した。

 

福島神明社(現福島大神宮)境内付近に福島砲台があり、外国船から福島沖を守っていた。この砲台は、天保15(1844)年頃に行われた吉岡砲台の設置により廃止となっていたが、箱館戦争の際には改めて整備され、福島村での戦いの前日、旧幕府軍軍艦蟠龍との砲撃戦を展開した。この砲撃により福島神明社の梁棟木が打ち抜かれたが、幸いにもけが人はなかったという。このときの蟠竜の艦長は松岡磐吉という。一方、これを迎え撃ったのは松前藩内の神社の神主ばかりで編成された図功隊といわれている。福島村からは、福島神明社(現福島大神宮)笹井三河、白符神明社(現白符大神宮)富山刑部が図功隊に加わっていたという。

旧幕府海軍「蟠龍」艦長 松岡盤吉 画像出典:函館市中央図書館蔵

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