MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

旧幕府軍 副総裁 松平太郎

松平太郎

Matsudaira Taro / 1839 - 1909

主に民政・外交面で活動し、人望は厚かったとされる。1869(明治2)年5月11日の新政府軍箱館総攻撃の際には、一本木関門奪還に陣頭指揮で出撃したが、敗退して榎本武揚とともに責任者として新政府軍への降伏申し出に臨んだ。

1839(天保10)年生まれ。鳥羽・伏見の戦いで敗北した後陸軍奉行並に任じられ、新政府軍に抵抗する。榎本とともに品川沖を脱出し、北海道へ渡る。旧幕府軍の副総帥を務め、約3,000人の兵士をまとめあげた。人望の厚い人柄で、旧幕府軍の資金の多くは松平太郎が調達したものと言われている。

 

1839(天保10)年、幕臣松平家の生まれ。名は正親。文久年間に奥右筆となり、1867(慶応3)年に外国奉行支配組頭を勤めた。1868(慶応4)年、歩兵頭から陸軍奉行並となり、大鳥圭介や榎本武揚らとともに戊辰戦争に参戦した。会津戦争の後、蝦夷地へ渡り、旧幕府軍の蝦夷地仮政権の副総裁に就任した。主に民政・外交面で活動し、人望は厚かったとされる。1869(明治2)年5月11日の新政府軍箱館総攻撃の際には、一本木関門奪還に陣頭指揮で出撃したが、敗退し、5月18日には榎本武揚らと共に降伏調印に臨んだ。東京で投獄の後、1872(明治5)年に釈放され開拓使出仕したが早々に退職。また、外務省に出仕しウラジオストクへ派遣されたが、これもほどなく退職した。1909(明治42)年に死去した。享年71歳。

旧幕府軍 副総裁 松平太郎 画像出典:函館市中央図書館蔵

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