Nagayama Tomoemon
(Tajima Keizo) / 1843 - 1899
薩摩藩士。1868(明治元)年10月26日(旧暦)、旧幕府軍制圧下の箱館港へ秋田藩の軍艦「アシュロット」が入港して旧幕府軍に捕獲された出来事があったが、この時の船長が田島圭蔵であった。旧幕府軍は田島を手厚く扱い、青森に送り返した。この後、田島は本名の永山友右衛門として黒田参謀の軍監として箱館戦争に従軍。新政府軍の総攻撃により箱館が新政府軍の制圧下となり、永山は軍監村橋を補佐して、弁天台場へ降伏勧告の受け入れの説得、総裁榎本武揚と千代ケ岡辺りで会談を行うなど終戦へ向けての工作を行った。1869(明治2)年5月17日、永山は榎本から降伏決定を告げられ、亀田八幡宮近くの会見場で会談の実現となった。箱館戦争の後、開拓使に出仕し、北海道開拓大主典に就任した。また、北海道製麻会社取締役、北海道炭坑鉄道会社の経営者なども歴任した。1899(明治32)年に死去した。