MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

箱館奉行 永井玄蕃

永井玄蕃

Nagai Genba / 1816 - 1891

1816(文化13)年生まれ。25歳の頃に旗本永井尚徳の養子となった。名は尚志(なおゆき)。 1853(嘉永6)年、幕府の目付に登用後、長崎海軍伝習所総監理、外国奉行、軍艦奉行、京都町奉行、大目付を歴任。1867(慶応3)年、旗本では最高位の若年寄に就任した。1868(慶応4)年、榎本武揚と共に蝦夷地へ渡り箱館戦争に参戦し、蝦夷地平定後の仮政権では箱館奉行として、箱館の統治および外国との交渉を行った。翌年の新政府軍箱館総攻撃時に弁天台場で陣頭指揮をとって奮戦したが、6月24日(旧5月15日)に新政府の勧告を受けて降伏した。投獄されたが、1872(明治5)年に特赦で出獄して明治政府に出仕。開拓使御用係、左院小議官、元老院権大書記官を歴任した。1891(明治24)年に76歳で没した。

 

名は尚志。幕府の目付、長崎海軍伝習所総監理、外国奉行、軍艦奉行、京都町奉行、大目付を歴任し、旗本では最高位の若年寄に就任した。戊辰戦争勃発により、榎本武揚らとともに蝦夷地へ渡り、箱館戦争に参戦した。蝦夷嶋政権では箱館奉行となり、箱館の本陣(旧箱館奉行所庁舎)、運上所において、統治および諸外国領事等との交渉にあたった。明治2年5月11日の新政府軍箱館総攻撃時に、弁天台場で陣頭指揮をとって奮戦したが、新政府の勧告を受け入れて降伏した。投獄されたが特赦で出獄して後、明治政府に出仕した。開拓使御用係、左院小議官、元老院権大書記官を歴任した。

箱館奉行 永井玄蕃 画像出典:函館市中央図書館蔵

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