MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

新政府軍 陸軍参謀 黒田清隆(了介)

黒田清隆(了介)

Kuroda Kiyotaka(Ryosuke) / 1840 - 1900

薩摩藩士。通称は了介。1868(慶応4)年、鳥羽・伏見の戦いに小銃第一隊長として従軍の後、北陸道鎮撫総督参謀として、長岡藩、新発田藩、秋田藩、米沢藩などを降伏・帰順させた。1869(明治2)年、箱館戦争開戦により陸軍参謀に就任、4月19日に江差に上陸、戦闘の総指揮をとった。5月11日(旧暦)の箱館総攻撃により旧幕府軍の敗北が決定的となり、部下の村橋直衛、永山友右衛門(田島圭蔵)、池田次郎兵衛らに降伏勧告受入れの説得工作を進めさせた。5月17日、旧幕府軍の降伏申し出により、翌18日には五稜郭が明け渡されて箱館戦争の終結となった。

 

箱館戦争終了後、1870(明治3)年に樺太専任の開拓次官となり、翌年には次官のまま開拓使の頂点に立った。この間、榎本武揚らの助命運動を行い、赦免が決定すると旧幕府軍幹部らの多くを開拓使に登用した。1874(明治7)年に陸軍中将となり、参議兼開拓長官を務めた。1876(明治9)年に朝鮮交渉の全権弁理大臣となり、日朝修好条規を締結した。また、1887(明治20)年に農商務大臣、翌年には第二代内閣総理大臣に就任。首相辞任後は、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任したが、1900(明治33)年、死去。葬儀委員長は榎本武揚が務めた。

 

薩摩藩士。箱館戦争には陸軍参謀として従軍。1869(明治2)年4月19日に江差に上陸し戦闘の指揮をとった。5月11日の箱館総攻撃には陸兵を箱館山裏側の断崖から奇襲上陸させ市街地を制圧。また、旧幕府軍の敗北が決定的となると、部下を旧幕府軍の箱館病院に派遣して降伏勧告受け入れの説得工作を進めさせた。 箱館戦争終了後は開拓使に於いて次官として北海道開拓に意を注ぎ、この間、榎本武揚らの助命嘆願を行い、旧幕府軍幹部らの多くを開拓使に登用した。

新政府軍 陸軍参謀 黒田清隆(了介) 画像出典:函館市中央図書館蔵

メインで登場するモニュメントの設置スポット

BACK TO TOP