Kozando Mugai / 1819 - 1893
常陸国生まれ。「雪耕」と号し連歌や俳諧を嗜んだ。俳友に箱館や江差関係者がいたことから、俳諧普及のため蝦夷地へ渡り、 「孤山堂」を継いだ。1868(明治元)年の箱館戦争開戦時に、俳友の中島三郎助と出逢い、七面山に庵を構えて、近所の咬菜園で定期的に句会を開催し、中島や土方歳三ら旧幕府軍の幹部も参加したとされる。明治2年4月に中島三郎助が千代ケ岡陣屋へ転出後は、陣屋に出向いて三郎助を激励し、三郎助戦死の後に「武士の魂か一声郭公」の句を詠んだとされる。箱館戦争後は、開拓使函館支庁、函館裁判所、函館公園看守を歴任し、函館八幡宮の神主を務めた。
画像出典:函館市中央図書館蔵