Takeda Sakuro / 不明 - 不明
諱は忠憲、のち得中と号す。天保13年開塾の「韮山塾」にて江川英龍の元で学び、松前藩で初めて西洋砲術を修める。嘉永3年からの福山(松前)城築城で築城掛。嘉永6年のロシア軍による樺太進出の際に一番隊を率いて出陣して対応にあたるなど幕末松前藩の軍事面における第一人者であった。戸切地陣屋では安政2年に初代の、そして慶応4年に最後の備頭(守備隊長)を務めている。