Matsumae Takahiro / 1829 - 1866
1829(文政12)年に江戸で生まれ、1849(嘉永2)年に21歳で松前家17世(第13代藩主)となる。箱館戦争の戦場となる福山城を1854(安政元)年に築く。外様大名ながら幕府の陸海軍総奉行に任じられるも、兵庫開港を独断したとの罪により官位剥奪となり、松前で謹慎中の1866(慶應2)年、熱病を患って死去。享年38歳。
初名は為吉。嘉永2年の藩主就任直後より積極的に海防強化策を推し進め、藤原重太(康茂)帰藩後は藩内各台場の西洋式改築や砲術修練所「威遠館」の設立など軍制の洋式化に取り組む。後にその国際的知見を以て幕政に活躍の場を移し、老中・陸海軍総裁を務めるが、第二次征長において独断で兵庫開港を主導し、朝廷の勘気に触れ解任と国元蟄居を命じられ、失意のまま病死。
画像出典:松前町教育委員会蔵