Hoshi Juntaro / 1840 - 1876
1840(天保11)年、東照宮宮司の息子として生まれる。仙台藩士。江戸で洋式銃隊訓練を学び額兵隊を組織する。戊辰戦争で仙台藩は降伏するが、星はそれを受け入れず額兵隊を率いて蝦夷に逃れる。木古内口の戦いでは単身で斬り込むという離れ業を決行し名を馳せた。
仙台藩士。江戸へ出て洋式兵術を習得。藩命により洋式部隊の額兵隊を組織し、歩兵頭並となった。旧幕府軍へ合流して蝦夷地へ渡り、箱館戦争へ参戦した。額兵隊の隊長として土方歳三率いる間道部隊へ加わり、内浦湾沿いを行軍、川汲峠での戦闘の後、箱館進攻を果たした。この後、歩兵頭並・額兵隊頭として木古内口の戦いでも活躍した。
天保11(1840)年10月4日生まれ。陸奥仙台藩士。攘夷説からのち開国説にかたむき、横浜で洋式兵学をおさめる。戊辰戦争で帰藩、洋式軍隊額兵隊を組織して隊長となる。仙台藩降伏後も榎本武揚の軍に入隊し、五稜郭陥落まで戦った。明治9(1876)年7月27日死去。
幕末の仙台藩士で尊王攘夷派。江戸で洋式の銃隊編成訓練を学んだ後、仙台に戻り藩主の伊達慶邦からその才覚を認められる。戊辰戦争が起こると星も額兵隊を率いて奮戦するが、新政府軍の猛攻を受けて仙台藩は降伏。星は額兵隊を引き連れ蝦夷に渡り榎本武揚率いる旧幕府軍の一員として参戦する。
画像出典:『仙台人名大辞書』(昭和8年)より転載