Nagai Kakushinsai / 1839 - 1869
通称六蔵。武州忍藩の新家に生まれ、のち幕臣鈴木家の養子となり蠼之進を名乗る。慶応2年、任地・上州岩鼻陣屋(現:群馬県高崎市)にて今井信郎と友誼を結ぶ。その剣戟の腕前は今井と伯仲であったという。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いの後に上京、盟友・今井らとともに信州鎮撫隊(のち衝鋒隊)を結成。この頃より永井蠼伸斎を名乗る。以降衝鋒隊の要として北陸・中部・東北を転戦、渡道後も戦功を挙げ明治2年正月以降は砂原の新築砲台群の守備にあたる。矢不来戦においては、敗走する自軍を救援せんと大野よりかけつけ奮戦するも銃弾に当たり、助からぬことを覚悟し従容と歌を吟じて自刃。享年30。大野・光明寺にその墓がある。