MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

新政府軍 軍監 村橋直衛

村橋直衛

Murahashi Naoe / 1842 - 1892

薩摩藩士。1848(嘉永元)年に家督を継ぎ、御小姓組番頭を務めた。1865(元治2)年、薩摩藩派遣の留学生としてイギリスで学び、1866(慶応2)年に帰国。1868(慶応4)年、加治木大砲隊長として戊辰戦争に参加、北陸・東北各地を転戦し、翌年、黒田清隆らとともに青森へ派遣され、青森口鎮撫総督府軍監として箱館戦争へ参戦した。箱館戦争では、総攻撃により新政府軍が箱館を制圧後の5月12日に、黒田参謀の命を受けて、会津遊撃隊長諏訪常吉の見舞と称して部下の池田次郎兵衛とともに箱館病院を訪問し、降伏勧告受け入れの仲介を諏訪に依頼したが、諏訪は瀕死の状態にあったため、病院頭取髙松凌雲と事務長小野権之丞へこの仲介役を託すと共に、箱館病院への援助に医薬品や食糧などを手配するなどの尽力をした。5月17日には、軍監として亀田八幡宮近くの会見場において、旧幕府軍の降伏申し出に立ち会った。翌18日に五稜郭が明け渡されて箱館戦争が終結し、村橋は軍監の任務を免ぜられ、鹿児島へ帰郷した。

薩摩藩士。1865(元治2)年、薩摩藩第一次英国留学生としてロンドンに学び翌年帰国。1868(慶応4)年、大砲隊長として戊辰戦争に参加、北陸・東北各地を転戦し、翌年、黒田清隆らとともに青森へ派遣され、青森口鎮撫総督府軍監として箱館戦争へ従軍した。 箱館戦争では二股口の戦闘でも奮戦し、新政府軍の箱館制圧後の1869(明治2)年5月12日、入院中の会津遊撃隊長諏訪常吉を箱館病院に訪ね、降伏勧告受け入れの仲介を諏訪に依頼したが、諏訪は重態であったため、病院頭取高松凌雲へ仲介を託した。さらに、箱館病院を連日訪問し交渉の行方を見守る一方で、医薬品などの手配に尽力。降伏勧告受入れの実現に向けての最大の貢献者であった。また5月17日には亀田八幡宮の会見場で旧幕府軍の降伏申し出に立ち会い、翌18日の箱館戦争終結の実現まで、降伏勧告から僅か一週間で村橋の行動が実を結ぶ結果となった。 箱館戦争終結後の21日に軍監を免ぜられ鹿児島に帰郷し、藩庁会計局に勤めたが、1871(明治4)年には開拓使に出仕し、日本初の低温発酵ビールを製造した「開拓使麦酒醸造所」の設立に携わった。しかし、1881(明治14)年5月に突然開拓使を辞職して放浪の旅に出、1892(明治25)年9月25日、神戸で「行旅死亡人」として死去した。享年50歳。

新政府軍 軍監 村橋直衛 画像出典:サッポロビール株式会社提供

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