Matsumae Kageyu / 不明 - 1868
1853(嘉永6)年、家老格に昇進し、翌年には箱館に来航したアメリカ極東艦隊ペリー提督らの主席応接使を務めた。その態度はペリー提督に感銘を与え、アメリカ側の要求をことごとくかわした交渉ぶりは、「コンニャク問答」として評判になった。1868(慶應4)年8月3日、正義隊のクーデターにより自宅の一室で自刃。
蠣崎廣年(波響)の子である廣伴の次男として生まれる。名を崇效。松前廣重の養子となり、勘解由を名乗る。1853(嘉永6)年に家老格に昇進し、1854(安政元)年のペリー艦隊による箱館来航の際は主席応接使に抜擢され、大役を勤め上げた。1868(慶応4)年の正義隊クーデターにより失脚、自宅にて自刃を遂げる。
画像出典:松前町教育委員会蔵