MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

蝦夷地仮政権 陸海裁判官 今井信郎

今井信郎

Imai Nobuo / 1841 - 1918

1841(天保12)年生まれ。幕臣で、直心影流榊原鍵吉の門下生となり、講武所師範代を務めた。1867(慶応3)年、京都見廻組の与力組頭に就任し、京都近江屋での坂本龍馬暗殺事件に関わったといわれている。この後、江戸へ帰り古屋佐久左衛門と衝鋒隊を組織し、戊辰戦争では越後・会津を転戦した後、旧幕府軍へ合流し蝦夷地へ渡り、箱館戦争へ参戦した。蝦夷地上陸直後に衝鋒隊副隊長として、土方歳三率いる間道部隊に加わり、鷲ノ木から川汲峠を越えて箱館へ進軍し、蝦夷地仮政権では軍監並歩兵頭並海陸軍裁判役へ就任した。今井は、古屋とともに衝鋒隊を率いて、森村鷲ノ木、鹿部、川汲方面を守備し、新政府軍攻撃時には大野二股口の戦闘へ参戦した。1869(明治2)年5月11日(旧暦)の新政府軍箱館総攻撃時には、大川・桔梗野方面での戦闘に奮戦したが、五稜郭へ敗走した。今井は、箱館戦争時の戦記である『蝦夷之夢』を記していて、その中に「五稜郭よりは副総裁松平太郎、陸軍副都督土方歳三、額兵隊、見国隊、神木隊、彰義隊を率い箱館を取り返さんと進撃、一本木関を守りたる長州、福山の兵を破って、市街に衝き入り血戦し、異国橋辺にて土方歳三、二関源二、大館昇一郎、後藤松三郎討死し、」と土方歳三の戦死場所は「異国橋辺」としている。

 

直心影流免許皆伝。遊撃隊・京都見廻組などを経て、箱館戦争には衝鋒隊頭並隊長(副総督)として参戦。二股口の戦いでは彼の率いた衝鋒隊が防衛の一角を担った。後に著した『衝鋒隊戦争略記』『蝦夷之夢』は、二股口戦を始め箱館戦争の詳細を語る貴重な史料のひとつである。京都・近江屋における坂本龍馬暗殺への関与を自供したことでも知られる。

 

1841(天保12)年、江戸本郷湯島天神下(現在の東京都文京区湯島)に生まれる。鳥羽・伏見の戦いで敗走後、古屋佐久左衛門に従い衝鋒隊を組織、仙台で旧幕府軍に加わる。坂本龍馬暗殺に関わっていたとされ箱館戦争終了後に投獄、恩赦により放免され静岡県で勤めるようになる。

 

幕臣。直心影流を修め、講武所師範代を務めた。1867(慶応3)年、京都見廻組の与力組頭となり、坂本龍馬暗殺事件に関わったといわれている。古屋佐久左衛門と衝鋒隊を組織し、戊辰戦争では越後・会津を転戦、旧幕府軍へ合流し蝦夷地へ渡り、箱館戦争へ参戦した。蝦夷地上陸直後に衝鋒隊副隊長として、土方歳三率いる間道部隊に加わり箱館へ進軍、古屋とともに衝鋒隊を率いて、鷲ノ木、鹿部、川汲方面を守備し、新政府軍上陸後は二股口の戦闘へも参加した。

蝦夷地仮政権 陸海裁判官 今井信郎 画像出典:霊山歴史館蔵

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