MONONOFU登場人物 / 最後の武士(もののふ)達

軍監歩兵頭・衝鋒隊総長 古屋佐久左衛門

古屋佐久左衛門

Furuya Sakuzaemon / 1833 - 1869

1833(天保4)年、筑後国(現在の福岡県小郡市)の髙松家の次男として生まれる。弟は髙松凌雲。1868(明治元)年に衝鋒隊を編成後、仙台で旧幕府軍に加わる。衝鋒隊を指揮しながら各地を転戦していたが、最後の決戦に備え五稜郭で酒宴中に新政府軍の砲撃に遭い負傷、弟凌雲の治療を受けるも間もなく息を引き取る。

 

1833(天保4)年、筑後国御原郡古飯村の庄屋髙松家に生まれる。髙松凌雲の実兄。大坂で医学、江戸で洋学・剣術を学ぶ。幕臣古屋家の養子となり、神奈川奉行所の運上所定役、神奈川奉行所通訳を務めた。1866(慶応2)年、歩兵差図役となり、その後、歩兵差図役頭取、歩兵頭並を歴任した。1868(慶応4)年、衝鋒隊を組織して各地で新政府軍と戦った。同年10月に石巻から旧幕府軍艦隊へ乗り込み蝦夷地入りして、箱館戦争へ参戦した。蝦夷地上陸後、間道部隊の衝鋒隊隊長として土方歳三の指揮のもと、川汲峠越えで箱館へ進攻した。蝦夷地仮政権では歩兵頭に就任し、1869(明治2)年5月11日の新政府軍箱館総攻撃時に、陸軍奉行大鳥圭介の指揮下、七重浜・桔梗野方面で新政府軍と戦闘となったが、敗北して五稜郭へ帰還した。翌5月12日に五稜郭へ向けて新政府軍艦甲鉄から艦砲射撃が行われ、十数名が被弾により戦死または負傷した。古屋も重傷を負って五稜郭から湯川の野戦病院へ送られたが、5月18日に旧幕府軍が降伏して箱館戦争が終結した後、5月22日に湯川野戦病院の引き払いに伴い浄玄寺の仮病院へ転院して治療を続けていたが、6月14日に死去した。享年37歳。

軍監歩兵頭・衝鋒隊総長 古屋佐久左衛門 画像出典:個人蔵、小郡市教育委員会提供

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